昨年の8月15日もその後も悲しくなってしまうので、なかなか見られなかった「禁じられた遊び」を昨日、じっくりと見ることができた。
この映画を初めて見たのはまだ10歳に満たない頃に、母に連れられて行った映画館であった。今思えば日本語の字幕もきちんと理解して読んではいなかっただろうし聞こえてくるフランス語はどんなふうに自分に響いていたのだろか、主人公の幼いポーレットの顔と声だけは、その時、印象に残った気がするけれど実際に何を考えながらこの映画を見ていたのだろうか等々、自問自答していくうちに映画館に母と弟と一緒に座っているシーンが蘇ってくる。
この映画は、1952年に公開されたフランス映画で日本では翌年の1953年に公開されている。おそらく公開された年に、母はこの映画を見たのだと思う。当時21歳の母は1歳になる前に母親を亡くした自分とポーレットを重ね合わせて見ていたはずだ。
そして、その11年後に私が生まれている。この映画を見ていると母がどんな気持ちで子どもたち、私と弟を育てたかったのか育ててきたのかがよくわかる。さらに、私がなぜ今、ここフランスで暮らしているのか考えてみるとこの映画を見た母の気持ちから辿り着いた結果なのかもしれないとさえ思いあたることがいくつかわかったような気がするのだ。
私は平和な時代に生まれたけれど戦争を体験している両親から生まれたという意味ではその思いを継いでいる戦争の子と言えるのかもしれないとも思う。終戦の日、両親はどこで何を思っていただろう。
この映画の舞台はフランスで、これは映画の中の話ではあるけれど戦争を体験した人たちの思いの記録であることには違いない。この映画を一年に一度は見返したいという気持ちになった。
8月15日の公園のアサガオ
戦争を体験した生存者が少なくなっている今、当時やその後のことを記録しておくことはとても大事に思えます。
膨大な記録を蓄えている「未来に残す 戦争の記憶」というサイトがあるということをつい最近、初めて知りました。空襲の記録も細かく書かれていて例えば、両親が当時暮らしていた場所にも空襲がいつあったかがわかり両親から聞いていた話がさらにリアルに思い出されます。
この記録を一気に読むのは大変ですが折に触れて、ときどき覗くだけでもその人の心に"反戦"の思いが大きくなって行くでしょうし少しでも周りの人とこの記録のことを話すことがあればその思いは、また広がっていくと思います。
記録に残すことが大事だと思う人が多いのは嬉しいことです。暮しの手帖社では、来夏、創刊70周年を記念して『戦中・戦後の暮らしの記録』を出版する予定だそうです。そのための原稿を募集中とのこと。聞き書きでもいいそうです。詳しくは、暮しの手帖社のサイト↓をご覧ください。原稿の締め切りは、来月、9月末日だそうです。
日本の状況を記録しておくこととともに
例えば、年上のフランス人の友人の父上が、インドシナで日本軍の捕虜になっていた話など
他の国の人たちの体験も覚えておく必要があると思います。
捕虜になっていた父上は、一日に茶碗一杯の食事しかもらえなくて大変だったそうですが
日本人は礼儀正しくて優しかったと言っていたそうです。
また機会があるごとに
私自身も身の回りで聞いたこと、思い出したことなど
このブログに記録しておこうと思います。
8月14日の姫りんご